10月1日(金)ついにインターネットつながる。まだ2~3日かかるはずなのが試してみたら今日つながった。Vyさんご夫妻本当にありがとう。ブログの記事も今までたまっていたた分まとめて載せられる。便秘が解消した気分。すっきり。
30日(木)
今日はじめてじっくりルーブルを見た。昨日発行された学生証が使えると聞いていたので無料で入れるのか、それとも学割が効くのか確かめてみた。チケット売り場のどっしりした黒人女性に学生証を見せ、チケットは必要なのかと尋ねると何歳かと聞く。45歳と答えるとげらげら笑い出しそれじゃ駄目だと一般と同じ9.5ユーロを払わされる。よっぽどおかしかったらしくいつまでもゲタゲタ笑っていた。他の人からも学生証があれば年齢関係なくただで入れると聞いていたんだがなあ…。しかし日本ではこんなチケット売り場の人の対応はあり得ないでしょう。さすがフランスだね。
先日見られなかった今回の本当の目的、フランドル、オランダ絵画を中心に3時間以上。それでもかなり飛ばしながら見たのだからどれだけコレクションが多いのかよくわかる。学生の時に来た時にはこのあたりもみなドゥノン翼の2階に集まっていたのだが、今はリシュリュー翼の3階におさまっている。観光客の団体はだいたいドゥノン翼の正面に二ケある階段を上ってイタリア絵画、「モナリザ」をメインに、ダビッドの「ナポレオンの戴冠」、ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」他、フランス絵画の大作をみるというのがコースのようで、そのあたりはガイドの解説付きの団体客でごった返しているのだが、3階のほうは人もまばらで監視員もいたりいなかったり、暇そうに隅っこで喋っているような状態。ファン・アイク、ルーベンス、フェルメール、レンブラントの名作たちがちょっと気の毒に思える。まあ、自分にとっては好都合だが。
やはり実物は、画集で見るのと感じが違う。色ももちろんだが物質として見えてくる強さがまるで違う。板に描かれている作品は板の反りややせなどで思った以上にでこぼこしている。板を継いであるパーツの形がそのまま見えているものも。15,6世紀のフランドル、ドイツの板絵は暗部が厚い。反対に、特に明るい肌の部分は思った以上に薄塗りのようだ。ヴェネツィア派以降の固練りの絵の具を使うようになったルーベンス、レンブラントの作品とは全く逆転している。面白かったのは、ホルバインとルーベンスの作品の中で、同じような服の装飾の表現があるのだが、両者とも装飾部分の模様がが厚く盛り上がっている。しかし前者のほうは明るい地の上の暗い模様が盛り上がっており、後者は暗い地の上の明るい模様が盛り上がっている。似たような表現にもかかわらず絵の具の違いがそのまま表れたような2つの対比。ここでだからこそ、それらを直に並列して見られるのだ。
夕方家に帰ると小包が届いているとのメッセージがポストに。管理人さんのところに取りに行く。freeという、インターネット、テレビ、電話を一括で契約できる会社の一つからの小包。これをセットすればとにかくインターネットが使えるという代物。ただしその方法はフランス語で書かれている。さっそくVyさんに電話すると、すぐに旦那さんと駆けつけてくれた。セット完了。しかし動かない。調べてみると、どうやら荷物が来てから2日3日してからじゃないと使えないとのこと。やはりここはフランス。日本のようなわけにはいかないようだ。でも本当にVyさん夫妻、いい人だ。感謝。
29日(水)
現地校で手続き。パリ生活3年目になるMさん。彼女はムサビの卒業生。フランス語も英語もできる。なんと頼もしい存在か。偶然にも同じ学校に通うことに。そこで最初の手続きに同行してもらうことになった。入学許可証をとるのにとにかく手間取った学校。ちょっとビザの関係で姉妹校経由の複雑な手続きということもあったのだが、とにかく手間取った。そのために何人の方々の多大な協力があったことか。はっきり言って迷惑かけっぱなしでここまで来たのだ。その手ごわい相手のところに行くと思うとおのずと緊張が走る。果たして手続きはうまくいくのか。ちゃんと教室に入れるのか。学生証は出してもらえるのか。Mさんの話では学生証もパリ市内に住んでるのと市外に住んでいるのでは手続きが違って市外の場合はちょっと複雑になるかもしれない。滞在許可証がまだ出ていない段階(これには数カ月かかる)ではまだ無理かも…、とのこと。覚悟して行ったが実際の受け入れ校では。何が問題なの?どうぞ自由にやってください?のような反応。手続き上の姉妹校のほうでも、秘書のような女性たぶんこの人に違いない。これまで手続きの相手になっていたのは。が奥にいた人の良さそうな男性に何やら話し、その男性は「アア ジャポネ!?」とわかったような雰囲気でこちらに何やら話し、その場で学生証を発行させてくれた。Mさんがいてくれなければ何ひとつわからなかったのだが、その秘書の女性が男性を呼んだその名前には聞きおぼえがあった。その人の良さそうなもしかして事務員さんかな。と思った人こそ学校の経営者だったのだ。なんという幸運。この国は手間取るときはとことん手間取り、うまくいくときはびっくりするほど簡単に進むらしい。その後Mさんの案内でメトロの駅近くにある大きな画材屋に。油絵用の絵の具箱と何本かの筆を買う。絵描きに戻る日が少しずつ近づいてきた。Mさんにはお礼にカフェで昼飯を御馳走したのだが、今日の店は、先日失敗した店と同じ値段で二人分、しかももっとたっぷり食べた。場所にもよるんだな。
27日(月)
フランスパンがうまい。もともと好きで日本にいる時も自宅で作ったりしていたが、やっぱりこちらで食べると、うまい。バゲットが1ユーロくらい。店ごとに焼き具合も少し違う。フランスといえばバゲットを小脇に抱えながら歩く人、というイメージは間違っていない。実際バゲット片手にかじりながら歩いている、そんな姿はよく見かける。
焼きたてのバゲットのせんべいみたいなパリパリの香ばしい皮と大きな気泡のできた柔らかい中身。もちろん日本でも本格的なフランスパン屋では食べられるのだが、ここでは毎日食べられる。子供たちはクロワッサンにすっかりはまってしまったようで、パン屋に連れていくと必ず買わされる羽目になる。こっちのクロワッサンはとてもでかい。
朝もパン屋だけは早くから開いていると聞いてためしにいってみた。子供の学校が早いので7時前に行ってみたら近所のパン屋は閉まっていた、少し離れた大きめのパン屋は開いていたのだが、なんと買ったパンは暖かくない。買った直後に新しいパンが店頭に出たところをみると、昨日のを出されたか。
夜、ここ数日7時から8時ころにかけてどこかの部屋で工事をする音が聞こえるのだがこの日は9時過ぎてもサンダーをかけるようなブーンという音がやまない。突然妻が「窓をたたく人がいる。」というので何を寝ぼけたことをと見に行くと本当だった。隣の部屋の住人がうちの窓をたたいて何か言っている。何かと思って顔を出すと。なんだか分からないがフランス語でまくし立てている。どうやらどこかから聞こえるこの工事の音についてのようだ。ジェスチャーでうちじゃないと示す。上じゃないかと指さしてみるが、それで納得して終わるかというとそうじゃない。どうやら「私んとこは入口が違うからあんたが行って止めさせてこい。」と言っているような感じ。こちらもあとは完全に日本語だけで「本当にうちの上ですかねえ。うるさくて困るけどうちも言葉わかんないし…、早く辞めてくんないですかねえ…。」と何とかかわそうとする。そのうち相手もこりゃ話してもムダかと思ったのかおとなしくなる。でも相変わらず引っこむわけではなく、煙草をすぱすぱ吸ったまま、なんだかブツブツ言ったりり頭を抱えたり。こっちも引くに引っ込めず、しばし衝撃的な出会いに思いをはせながら壁越しのお隣さんと並んで夜空の星をを眺める。そのうち娘が自分も見たいと出しゃばってきた。やることもないので顔を出させる。「ほれ、ボン ソワールっていいな。」と小声で言わせる。なんとなくちょっと雰囲気が和む。しばらくしてお隣の住人はこっちに向かって「ムッシュー、ボン ソワレ」と、ちゃんと挨拶して窓を閉めた。
これぞ、ついに我が家にもやってきたフランス人体験。
25日(土)
ブローニュの森まで行こうと思うと結構遠いのかな。と思っていたところ、boulogne parkという公園が近くていいという話を聞いた。ブローニュの森の南はし、日本庭園を模した公園という話だ。バスで行くといいとのことだったが、地図で見る限り、歩けない距離ではない。例のごとく車の着いた買い物袋に娘を入れてぶらぶらと家族で散歩がてら歩いてみた。街並みがきれいなせいもあるだろうが、思ったほどの距離も感じず30分程度でたどり着く。確かにきれいな公園。広い芝生の広場、大きな池には鴨や白鳥、日本を意識したらしい赤い橋を渡ってしばらく行くと乗馬の練習場があり、若者たちが乗馬のレッスンを受けている。庭には日本でなじみのあるシダ植物や松、群生する花は、よく見るとシュウメイギクだ。こちらの緑は日本と比べて明るいように感じる。日本でいう、4月から5月初めごろの新緑に近い明るい葉色の植物があるためか、緑に色幅がある。日本のように新緑を過ぎればいきなり一面濃い緑、というのとは少し違うようだ。日本の緑というのを表現するのに水墨画が相性がいいというのがなんとなく納得できるような気がする。
帰り道、通りがかりに見たアパルトマンの窓辺に飾られた花が美しかった。ごく当たり前に見られる日常的な光景…。
24日(金)
銀行口座は開いたものの、インターネットの手続きにはなお3週間近くかかるとのこと。えらいことだ。他の人の話を聞いたところ、フランスではすべてがそんな調子だとのこと。1カ月以上は当たり前。中には半年かかっても通じなかった例もあるとか。
23日(木)
本日パリはストライキ。噂に聞いていたストライキがこうも早くやってくるとは思わなかった。よりによって今日はパリのオペラにある銀行で口座を開く約束になっているのだ。先日からVyさんや息子の学校、お母さん方から今回は大規模なストになるらしいなどと情報は聞いていたのだが。銀行での約束は2時。用心のため11時過ぎに家を出た。しかしあっけなく12時前には目的地についてしまった。ストといっても完全にストップしてしまうのではなく、2分の1程度の間引き運転。朝のラッシュ時は確かに大変なのかもしれないが、昼間の時間帯ではほとんど不自由を感じない程度だった。実際聞いてなかったらストだということ自体に気付かなかったろう。
あまりにも早く着いてしまったので周囲をうろうろ散策。せっかくだからカフェで食事でもしようとチュイルリー公園わきのカフェに入る。日替わり定食のようなものが16ユーロちょっとと書いてあるのでちょっと高いがまあいいかと頼んでみる。牛肉を煮込んだスープのようなもの。肉はナイフが必要ないほど柔らかく煮込んであってうまい。デザートにでっかいタルトがついて、充分な量。ところが会計してびっくり。25ユーロを超えている。よく見ると、初めに頼んだ水と食後のカフェオレがそれぞれ4ユーロ以上だ。日本円にして3000円近い昼食。聞いてはいたが本当にそんなにしてしまうのか。しばらく外食は無理だな。せいぜいサンドイッチ屋がいいとこか。(サンドイッチはかたいフランスパンにたっぷり具が入ったようなボリュームのあるものでもそれほど高くなくてうまい。)
帰りに家の近くのホームセンターのようなところでスケッチブックとリンシードオイルを買う。まだこちらに来て本格的な画材屋を見つけていない。そろそろ絵描きに戻りたい。が、落ち着いて始められるまではもう少しかかりそうだ。
22日(水)
スーパーで鳥の丸焼きを買う。日本円で500円程度。4人であっという間に平らげる。大満足。フランス、食べ物はうまい。
20日(月)
前にも言ったが、こちらの朝は遅い。朝7時になってようやく明るくなり始める程度。その代わり夕方は8時ころまで明るい。今日は午前中アパルトマンの管理人が水道の様子を見に来てくれた。その場で水道屋を呼んでくれ、とりあえず応急処置をしていった。また水曜の夕方来るという。一応、これで皿洗い、洗濯が可能になった。
午後は息子が行きたいというので昨日外からだけ見たルーブルへ行くことに。まずはいく道、メトロ初体験。言われているほど汚くも、臭くもなく、怖さも感じなかった。家の近所が比較的治安のいい地区だからかもしれないが。また、夜に乗ったらちょっと違うのかもしれない。
ルーブル美術館。以前に来た時はまだガラスのピラミッドもなかった。前の時とは作品の配置もかなり変わっていて、印象は随分変わっている。モナリザの部屋の混みようと言ったら…、以前もこんなに人が多かったっけ。今日は息子へのサービスとしてきたのでほんのさわりだけ。モナリザの部屋からイタリア絵画、ダビッドやドラクロアなど、フランス絵画の大作をみた程度にしておいた。あとは美術館内のカフェで一休み。
買い物袋(車がついた台車のようにっているやつ)に娘を入れて転がしながらチュイルリー公園からコンコルド広場を抜けてシャンゼリゼ通りまで家族でぶらぶら歩く。フランス人の車の運転は日本よりは荒いかもしれないが、でも意外に道を渡ろうと立っていると日本では止まらないだろうなと思う場面で車が止まって、こっちがどうぞと言ってもわたるまで待っていてくれたりする。結構マナーがいいのかもしれない。ただしバイクは結構危ない。
19日(日)
Vyさん御夫婦が車でチャイナタウン、オペラ座界隈につれていってくれる。
チャイナタウンには持ってきたお金をいくらか両替しに。土日はどこも休みなのだが、中華街だけはやっているという。しかもレートがいいらしい。なんだここはというような小さな店。地元の人じゃないとわからないし、多分知っても怖くて入れないだろうな。
オペラ座界隈には日本の店がかたまっている。食材店、寿司屋、ラーメン屋。Vyさんお勧めの店、「北海道」でラーメンを食べる。オーナーは北海道在住経験のある台湾人(?)だそうだが味はちゃんと日本のラーメン。うまかった。セットの餃子が7つというのもすごい。道を歩いていると突然の大音響、何やらよくわからないがブラジルの国旗を先頭に踊ったり格闘技を披露したりの大行列。Vyさんも初めて見たそうだ。
パリ。確かに一つ一つの建築物を見てもそれぞれに歴史の重み(たとえその歴史を知らなかったとしても)、蓄積された時間の厚みに圧倒されるが、ルーブルからコンコルド広場を経て凱旋門に至る一直線を見渡す場所に立ってみると、これが都市という規模ではっきりとした意志を持って形作られていること、知識として知ってはいても実際にその場に立つとそのスケールに愕然とさせられる。学生の頃、もう20年以上も前に来て以来のパリだが、その時とはまたちょっと違ったふうに見えてくる。すっかりやられました。
4日目(9月18日《土》)
洗濯物がたまり、仕方なく近所のコインランドリーへ。
当たり前のようにやり方がわからない。たまたまそこにいた夫婦のうち、女性が東洋人だったので、妻がとりあえず日本語、韓国語で尋ねてみるが、全く通じない。あとは身振りでやり方を教えてほしいと伝えるが、その人たちは脱水だけしかしたことがないようだ。御主人のほうが説明を読みながらやってみてくれたがなかなかわからない。一人でブツブツ「レシーブ、…レシーブ…」言いながらいろんなボタンを押してみるのだがなかなかうまくいかない。どうやら洗剤の出し方がわからないようだ。なんだか分からないままいろいろやっているうちに突然洗剤が出た。「メルシー ボクー ムッシュー。」の声に、にっこり笑ってそのまま出て行ってしまった。お金まで払ってくれたまま。フランス人、噂とは違って結構親切な人がいるみたいだ。…ところで結局やり方はよくわからない。
本日覚えたフランス語
Lessive(レシーヴ)=洗剤
3日目(9月17日《金》)
大家さんが来て台所を見てもらったが、とりあえずはパイプづまりの薬を入れて様子を見ることに。しばらくは洗濯もできない。皿洗いは洗面所。台所下にぽたぽたたれる水が桶にたまるとトイレに流す。まるで漫画のような生活。VYさんと旦那さんが来てくれ、自動車で郊外の大きなショッピングセンターへ買い物に連れて行ってくれた。ほとんど知らない自分達のようなものに対して、どうしてここまで親切になれるのだろう。洗濯物干し、布団、パソコンのプリンターなど、運ぶのが大変なものをはじめ、食器や洗剤など、とりあえず生活に必要なものをまとめて買い込む。クレジットカードが大活躍だ。
フランス、2日目。
体の中はまだ日本の時間が流れているのだ。朝の4時にはすっきりと目が覚めてしまう。子供も同じ。こっちの時間になれなきゃあと無理やり寝かす。
フランスの朝は遅い。朝7時にようやくうっすら明るくなる程度。8時過ぎてから恐る恐る近所のスーパーに食べるものを買いに行く。
簡単な食事の後、アパートの管理人さんのところにあいさつに行き、届いていた郵便物を受け取る。「ケイタイ」から届いたカード。これで携帯が使えるようになる。この日は夕方にVYさんが旦那さんと一緒に来てくれた。彼女は、私たちが日本で数カ月フランス語を習っていた先生の友人の旦那さんの妹(ベトナム人)…と、ものすごい間接的な関係なのだが、私たちの近所に住んでいるということで、わざわざ来てくださったのだ。日本語はわからないということだったが、会ってみるとかなりしゃべれる。今の自分達にとってはなんと心強いことか。
旦那さんがインターネットの契約についていろいろ調べてくださった。わかったことは、契約するためにはまずこちらの銀行口座が必要だということ。キャッシュカードじゃだめらしい。
初日からちょっと変だと思っていたのだが、2日目にして台所の水道が詰まる。
洗濯しようと洗濯機を使ったところ、買い物から帰った時には床じゅう水浸しに。
うわさには聞いていたがほんとにこんなマンガや読み物の中の話みたいなことが実際に起こるんだな。
9月15日。フランス上陸。
時差7時間、日本時間でいえば夜中の2時ごろの到着。入国審査や、税関など、なんの申告書もなくあまりにもあっさり通過してしまうことに少々驚く。こんなんだったら心配していた絵の具など、送らないで直接持ってきてしまえばよかった。
右も左もわからないとはこういうことだ。降りてすぐ、アパートの大家さんに電話しようとするのだが、さて、公衆電話のかけ方がわからない。テレフォンカードでかけるようだが、そのテレフォンカードの自動販売機での買い方が意味不明。何とか買ったはいいが、今度はその使い方がわからない。実は同じような人が何人かいて、同じように悪戦苦闘していた、そのうち近くで見ていたフランス人が見るに見かねて一人の人に教えてくれた。それに便乗して自分も教えてもらったのだが実はその人の教えてくれた方法でやってもつながらなかった。ちょっと変わったタイプのテレフォンカードのようだが、今でもこれがなんだかよくわからない。結局は硬貨でかけるタイプの電話でいくらを入れたらいいのかわからないまま適当に入れて何とかかけることができた。空港からはタクシーに乗り40分くらいだったろうか。夜の9時ごろ(日本でいうと朝の4時)へろへろの状態で何とか新たな自宅にたどり着いたという次第。
9月14日
翌日出発前には妻の教えている韓国語教室のメンバー達がわざわざ家まで見送りに来てくれた。隣の家の友人も含め、大人数でのなんだか盛大なお見送り。
隣人からはお手製の服をいただいたり、韓国語のメンバー達からは、以前我が家で1日だけメンバー達と趣味でカフェを開いたことがあるのだが、その時のことをストーリー仕立てにしたメッセージ入りの素敵なアルバムをいただいた。メンバーの中にはセミプロの漫画家までいて、これはまた見事な出来栄え。もちろん見た目だけではなく、心のこもった贈り物に妻もバスの中で思わず涙ぐんでいた。
しばらくは我が家ともお別れ。なんだか最後までドタバタの滑り込みのような出発前だったが、いろんな人の親切、思いやりが身にしみた数日間だった。
成田へ向かうバスの窓から見える日本の風景は、なんだかいつもよりちょっとだけきれいに見えた。