外国語のスイッチ

ここ数日はずっと雨。特に昨日は最高気温も9度くらいの上にかなりしっかりと降る雨。しかも風まである。にもかかわらず、こちらでは傘をささない人がかなりいる。前からみんな傘をささないなとは思っていたが、まさかこんな日にもささないとは思わなかった。今日見た限り、全体の3分の1くらいの人がさしていなかった。結構な割合。

フランス人の好きなもの、、ひなた。嫌いなもの、傘。

ルーブル美術館の彫刻、特にギリシャ彫刻、イタリアの彫刻のあたりを歩いていると、学生の頃お世話になったなつかしい石膏像の”方々”に思わぬところでお目にかかる。

サモトラケのニケやミロのヴィーナスは、主役級の扱いなので非常に目立つ所に置いてあるが、見過ごしそうな目立たない場所にもアグリッパやらゲタやらがひっそりと隠れているので侮れない。しかし昔からお世話になっているものはさすが、遠くから見てもさっと目に飛び込んでくるものだ。よくみると、比較的石膏像で見ていた印象と近いものもあるが、かなり違うものもある。特に表面の状態。かなりつるつるの光沢のあるものがあるかと思えば、マルスやアグリッパなど、相当ざらついたものまで。これは元の大理石の質の違いからくるものなのか、それとも、作品の置かれていた環境、保存状態の違いからくるものなのか。ラボルトなど、石膏の印象で記憶していたのだが、実物は、ほとんど鼻から口のあたりが風化してなくなっている。表面のざらついたものは、部分的に粒子が光ってキラキラ輝いていて、さすがに石膏像ではこういう部分までは再現できないなと思わされる。今日もスケッチブックを片手に見に行ったのだが、さすがこの辺りは人の数も多く、また残念ながらリシュリュー翼の中庭のような採光条件のいい展示場所ではないのであまり描く気は起らなかった。これらの作品を中庭で見られたらどんな風に見えるのだろうと思うと少し残念な気がする。

最近ちょっとだけ頭の中のスイッチが変わった。これまでは、外国語、イコール韓国語に反射的に切り替わっていたのだが、例えば、話している時に相槌をうとうとすると必ず「ネー」とか「イェー」とか無意識に韓国式の答えが出てきたものが、一昨日は韓国人と韓国語で話していながら「ウイー」とフランス語で答えていた。昨日は道端でアメリカ人に英語で道を聞かれたのだが、とっさに「私はフランス語がわかりません。」とフランス語で答えていた。全くわけのわからない無茶苦茶な応答。でも、ちょっとスイッチが変わりつつはあるようだ。とはいえ、フランス語がわかってきたわけでもしゃべれるようになってきたわけでもない。単にスイッチだけの問題。もっと普段の生活の中でフランス語に接する場面がないと、なかなか上達は難しいと思う。今の生活の中では、たとえば買い物にはそれほど言葉は必要ではないし、もちろん絵を描くにも言葉はいらない。たとえばDavidさんのような人と話す機会がしょっちゅうあれば自然と言葉も少しずつは身に着くのだろうが、たまに会うくらいではなかなか…。Davidさんのような、言葉の通じない日本人でもあきらめずに話してくれるような日本語のできないフランス人の知り合いがあと5,6人いればなあ…、などと贅沢なことを考えてしまう。

ところで昨日のメインイベントの一つであった娘の現地幼稚園デビューは、親の心配をよそに見事な勝利を収めたようだ。先生によれば「パーフェクト」で「スイート」というよくわからないおほめの言葉だったようだが、本人は、先日買ってあげた本人お気に入りのピンクのかばんが、本人いわく「フランスごのおともだち」に人気だったことに気を良くしているようだ。「黒いお友達」や「白いお友達」と仲良く遊んだようでまずはホッとしたところ。やっぱり一番ちっちゃい奴が一番順応性があるようだ。ところで彼女は先生のことを「おばさん」と呼んでいる。

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