実はちょっとした問題が発生していた。装飾部分の盛り上げ用に3日前にテストしてあったサンプルがほとんど乾いていないことが昨日わかったのだ。つまり描いて2日目で指触乾燥がほとんど見られなかったということ。サンシックドリンシード練りのシルバーホワイトに少量の卵黄、そして少量の水。同じ日に塗った卵黄と水を加えていないサンプルのほうはまずまずの乾き具合。ということは卵と水を加えることが乾きを遅らせる原因となっているということか。それでは意味がない。乾燥にあまりにも時間がかかるようなことをわざわざやるというのは技法的にもあり得ないだろう。半分途方に暮れながらの今日の作業開始となった。ところが行ってみると2日前に描いた盛り上げはまあまあいい具合に乾いていた。実は描き始めて二日目に顔のハイライトにのせた絵の具の乾きがなんとなく遅く感じていたため、一応念のため持ってきていた自家製のブラックオイルをシッカチーフ代わりに2,3滴加えておいたのだ。それが功を奏したのかもしれない。2日目でこの程度まで乾くのなら作業的には全く支障がない。卵黄を加えることで可塑性と絵の具の伸びを与えるという今回試した前提がひっくり返ってしまうところだっただけにホッとした。ただ、エマルジョン化することで乾燥が遅れてしまった原因については今のところはよくわからない。もう少し、調整するすべがほかにあるのか…。
今日は洋服の黒、そしてほとんど影に入って見えない手の部分(写真はオリジナルと模写の比較。)。実はこの暗い部分の表現のほうがむしろ今回謎だ。暗いのにかなり厚い。しかも透明感がある。例えば黒の場合、下の色を全く覆い隠して真っ黒にするのに実はたいした厚みは必要ない。ほとんど薄いフラットな塗りで充分。しかしこの自画像の服の黒はかなりの厚みがあってしかも下の茶色が生きている。手の部分は不透明なグレーを半透明に使って下地の色を生かしている。しかし厚みがある。不透明が厚みがありながら透けているとはどういうことか。メディウムで相当に薄まっているか、体質顔料がたっぷり含まれているか。確かにレンブラントの絵には2種類の白が使われていたようで、一つは純粋な鉛白。もうひとつは白亜が混ぜられた鉛白。主に下層に使われていたという。だとすればこの場合、白亜を混ぜればある程度達成できるはずだが、実際経年変化でかなり透明化しているとは言っても、この効果を出そうと思ったらほとんど半分以上、場合によっては8割近い白亜の量になるのではないか。しかも暗い部分ののほとんどにかなりの体質感がある(もちろん比較すれば明部のほうがより厚いのだが。)他の作品でも、例えば「トビアスやその家族と別れる天使」の天使の羽の部分に薄い黒のグレーズの濃淡で形が描かれているものがあるのだが、その濃淡にしたがって明らかに盛り上がっている。「屠殺された雄牛」ではむしろ明るい部分に匹敵するほどの厚みで暗い部分のグレーズが盛り上がっている。赤や黄色のレーキ顔料、スマルトなどと混ぜ合わされて厚みのあるグレーズのテクスチャーを作ったとの分析もあるが、それだけでこの厚みになるようにはどうも見えない。白亜を使用しての厚さならばあらゆる陰に相当量の白亜が入ってくるはずだが、文献を見る限りそれほど白亜に関する記述はない。メディウムの量を増やすにしても相当な量になるしここまで厚みを持たせようと思えば流れるだろう。今のところ、正直に言ってまだわからない。…しかしそれが美しいというのは事実だ。いずれにしても全ては実物を30センチの距離で穴があくほど見ながら確かめられる”特権”あっての実感。おそらく見るだけでは実際やってみていかに再現できないものかまでは分からない。それだけでもここまで来た価値はある。