6日目の仕事

昨日の夜、ナショナルギャラリーの文献を調べる中で厚みのあるグレーズについての記述が出てきた。ただしこれは比較的晩年のキャンバス画の作品なので、今やっているレンブラントの黒について当てはまるかどうかはわからない。後期のレンブラントの作品の中にはたびたびスマルトが使われている。コバルトガラスを砕いた人口顔料。青い透明色だ。レンブラントはウルトラマリンブルーを使っていない。使っている青顔料はアズライトとこのスマルトらしいが特に晩年はアズライトも使っておらず、スマルトのみのようだ。スマルトは、要は色ガラスを砕いたものなので色は弱く透明。しかも粒子がかなり粗い。使われ方としては、青い色としての使い方のほかにシッカチーフとして特に黒やレーキ顔料に混ぜて使われたらしい。実際混ぜても弱くてほとんど色としての影響がないほどだ。で、肝心の暗く厚いグレーズについては5日目のところでも書いたように、黒とスマルト、または、そこに赤や黄色のレーキと共に使われ、厚みを持たせているという。クロスセクションの写真を見てもかなりの量のスマルトは入っているようだ。粒子の粗さと透明度が、黒の厚みにつながっている可能性を考え、家で実験してみる。実際練ってみると、スマルトの粒子があまりにも粗いのでとても絵の具にならない。なのでつぶしながら練るような形になる。それでも完全に滑らかにまではならない。しかしその粗さがあってか確かに可塑性は出しやすい。が、問題の透明性についてはスマルトを半分程度入れたのにもかかわらず、レンブラントのそれと比べてまだまだ不透明に思える。実際に今日、描いてみる。やはり透明度は足りない。厚みを出したいが、そうすると完全に不透明になって深みが出ない。ぺタッとした平面的な黒とグレー。少しでも下地の茶色を出そうとすると、薄すぎて単調なマチエールとなりスマルトの粒子のざらつきが出てくる。少なくともこの絵に関しては違うように感じる。
今日で一通りの部分に一層は絵の具がのった。だんだん見た目の感じが目の前の絵に近づいてくるにつれ、見物人もにぎやかになってくる。今日はツアーの団体も多かったようで、多少やりにくかった。美術館のコピースト達の間ではどうやら私は「早描きの日本人」というイメージができつつあるみたいだ。時間が来てイーゼルをしまいに行った時、倉庫でたまっていた人達から「いつ出来上がるんだい?あと1週間? 2週間?」「…たぶん2週間。」と答えると、「2週間はあなたには長すぎるわよ。」(通常1枚に対して与えられる期間は3カ月。)もちろん英語での会話。気の利いた答えでも返せればいいのだが、言葉がまるでだめでは返す言葉もない。「がんばります。」と日本語でにっこり答えてその場を去った。今日はカメラを忘れたので写真はなし。代わりに先日撮った同じ部屋の反対側で描いているKay君の姿でも。彼はまだ26歳。聞くところによると、デザインを専攻していたそうで、今回が油絵初挑戦なんだとか。にもかかわらず、絵具も顔料から手練りしてきている。日本から持ってきたシルバーホワイトの顔料をおすそ分けしてあげた。今まではアクリルかガッシュでばかり描いていたそうで、油絵で描いてみた感想は「アメージング!!」だそうだ。初めて描く油絵がルーブルでのレンブラントの模写。日本では考えられないこの環境は確かに素晴らしい。模写が終わった後しばらくぼーっとルーベンスの間で巨大な作品群を見ていたとき、たまたまkay君もそこにいたことがあった。こちらを見つけるなり近づいてきて来て、ルーベンスの作品を指さしながら、「すごく早く描いているみたいだ。」と言った。こっちの足りない英語力に合わせて簡単な単語を使ってくれてのことだが、これは現物を見てのリアルな感想だと思う。実物のスケールで、実際の絵の具の様相をじかに見ると、そんな作家の息遣いがダイレクトに伝わってくるのだ。筆が踊るように走る様。そのスピードの緩急…。縮小された写真からでは見えてこないものが、ここにはある。

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