スイス(その2)

あくる日はほんとに「ぐーちょきぱー」の4ヶ国語の輪唱で始まった。朝9時頃、暖かな日差しの中、見晴らしのいいテラスでの食事。家主の奥さんと2人の娘さん、Catherineさん家族と我々家族でのにぎやかな食事。テーブルには奥さんが庭のリンゴで作ったというジャムをはじめとした様々なジャム、チーズ、ハム、そしてパン。豊かな食卓だ。Catherineさんによると、これはドイツのスタイルだという。スイスでは朝食はもっと簡単に済ませるが、ドイツでは朝はしっかりと採るらしい。
その日は車でジュネーブへ。実はChatherineさんの娘さんたちも初めてのジュネーブ観光だという。彼女たちはイタリアからこちらに来てまだ数年、人ごみのあまり好きではない彼女はまだ娘たちを連れて来たことがなかったらしい。駅近くの駐車場に車を入れ、歩きだす。まず気付いたのは彼女たちが信号で車が特に来ていないにもかかわらず、赤信号を守っていること。ここではどうやら信号は守るらしい。ほぼ日本と同じように。逆にパリで慣れてしまった自分のほうがうっかり渡ってしまいそうになる。駅前の通りを歩くとさすがはスイス、やたらと時計の店が多いのが目につく。パリではファッション関係が多いのとは対照的だ。湖の見える場所に出ると、橋の向こう側にさっそくジュネーブのシンボルともいえる大噴水が見える。橋を渡り近づいてみると、大噴水を中心とした港の様子はどこか故郷の横浜港を思い起こさせるが、残念ながら美しさという点ではこちらが数倍上だ。何よりまず、水が美しい。横浜はこれと比べればずっと不透明でグレーがかっている。周囲全体の美しい町並みと遠くに見える山々、対岸を工場地帯に囲まれた横浜の風景とは対照的だ。ここは海ではないのでそこにいる鳥たちも違う。横浜では当然カモメたちが飛び交っているのだが、(あとはカラスとハト。)ここでは白鳥や日本ではあまり見かけない水鳥たち。そこに泊まる船達も客船やタンカーではなくヨットが多い。裸でヨットを洗っているおじさんなどという風景は横浜では見られない。大噴水の近くまでは細い通路が通っていて間近まで行くことができる。近くまで行くと水しぶきが風で流されてきてけっこうな雨の中を歩いているようだ。子供たちは大喜び。通路のおしまいには階段がわきにあって、さっそく裸足で水に入ってはしゃいでいた。Catherineさんの長女はすでに橋を渡ってくるころから靴が痛いとずっと靴を手にぶら下げたまま裸足で歩いていた。見た目は可憐な少女だが、結構野性児なのかもしれない。港のあたりは結構新しい建物が多いのだが、旧市街に入ると急に趣のある町の姿が現れる。パリより素朴でどっしりした印象。知識不足でよくはわからないが、時代的にももっと古いように感じる。華やかさより落ち着きを感じる町並み。カルヴァンによる、プロテスタントの拠点になったというサン・ピエール教会の尖塔からは美しい市内の様子が一望できる。

午後には駅の近くにある、様々な音楽を学べる学校のイベントのコンサートに行く。実はSalvatoreさんもそこで教えている教師の一人、生徒たちと一緒に演奏するのだ。建物に囲まれた中庭のようなスペースに舞台はあった。かなりの観客達が飲み物、軽食を片手に聞き入っている。スイスのヨーデルを始め、インド、ブラジル、スペインのフラメンコなど、実に多彩な演奏。Salvatoreさん達は昨夜見たタンバリンによるみごとな演奏を披露した。途中、見ていた小さな子供が舞台に上がり込み、一緒にタンバリンをたたいたり、勝手に後ろにあるギターを弾こうとしたりの大暴れというハプニングがあったが、そこはさすがイタリア人のエンターテナー、上手にその子を巻き込んで会場を盛り上げていた。

会場を後にし、家路に就く。車の中から見えるレマン湖を見ながらCatherineさんが言う。「この湖は見るたんびに毎日違った色をしているのよ。綺麗な青の日もあればある時は真っ黒になったり…。もしも金持ちになったら湖の見える高台に家を建てて、毎日椅子に座って今日はどんな色か一日中見ていたいわね。」彼女らしい言葉だ。宿に戻るともう6時を過ぎていたが、まだまだ外は明るいので庭に出てチェリーを採りながらあり合わせのもので食事をする。食べ終わる頃、急に風が吹き始め、辺りが曇って暗くなったかと思うと、遠く対岸の部分だけ、まるでスポットライトを照らしたかのように雲間の光で輝きだした。光のさしたわずかな空間に虹が現れる。神秘的な光景。しばらくじっと眺めていると、家主の奥さんが裸足で出てきて写真をとっていた。遠くにアルプスの山並みも見えだし、夕方の光に輝きだす。

ついに最後の日まで見ることはできなかったが、天気がいい日は遠くにモンブランの頂も見えるのだという。その夜、家主の奥さんへのお礼にその光景の記憶を備え付けのノートに水彩で描いた。前日の朝、窓から見た庭のスケッチと共に、2枚がこのノートに記されたことになる。お金も受け取らずに見も知らなかった我々にこんなにも親切にしてくれたことに対するせめてもの気持ちだ。

日曜日、帰る日の朝、Catherineさんの通うカトリックの教会に一緒に参席する。カトリックの礼拝は初めての経験だ。言葉の内容はよくわからないものの、自分達の知るプロテスタントの礼拝と比べて講読文のようなものが多く、全体に儀式的な印象が強いような印象を持ったが、それほど大きな違和感は感じない。韓国人教会の大音量の熱い礼拝と比べると対極的な静かな礼拝といえるかもしれない。ここの教会は子供を大事にしているようで、礼拝の司式をする中でも常に子供が前に出て参加する。神父さんは意外にもアジア系の人だった。タイだったか、ベトナムだったか…。その日は礼拝後、外の別の建物にエレベーターが設置された記念とかで皆が外で賛美歌を歌ったり、何やらセレモニーのようなことをやっていた。たまたまそれを知らずにまだ中にいたのだが、外から聞こえてくる賛美の声が会堂の中に美しく響き渡る。こちらは教会の作りがわざわざ音楽がよく響くように作られているのだろうか。そんなことを感じるほど。礼拝堂が楽器に思えた。

帰りの電車の時間まではまだ時間があったので、近くの湖畔の公園に行くことにした。広い公園には他にも同じような人たちの姿がちらほら見える。日差しが暖かいとはいえ、まだ気温はたぶん20度前後、にもかかわらず、いつの間にかCatherineさんの子供達は水着に着替え、どんどん湖の中に入っていく。水温だってかなり低いだろうに…。この子たちが特殊なのかと思ったら、他にも同じような人達がちらほら見える。いったん家に帰ったCatherineさんがピクニックの準備をしてきてくれ、また芝生で昼食をとる。本当にこの数日間、つきっきりで我々によくしてくれた。さぞかし疲れもたまっているだろうに全くそんなそぶりも見せることなく、常に落ち着いて明るく振舞ってくれていた。実は彼女は数か月前、最愛のお父さんをがんで失ったばかりなのだ。そのことについてはあえてこちらからは触れずにいたが、帰る自動車の中で最後に話してみた。彼女はまだ父親を失った喪失感から立ち直っていないことを認めながらも、「父は幸せな人生を送りました。」と言った。
別れ際、又いつか会いましょうと挨拶を交わす。本当にまた会える日が来ることを心から願う。初めは知り合いでもなく言葉も通じないのにどうしようと不安がっていた妻も、最後は涙ぐみながらスイス式の挨拶(ビズ)をした。

フランスのビズは2回。スイスでは3回。これが最後にここで学んだこと。

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