翌日は朝、子供達が目を覚ます前に起きだしてベランダから絵を描いた。まだ7時前。行き交う船もほとんどない。船の行き来がない時は、細い運河の表面にはほとんど動きがない。鏡面のように街を逆さに映し出す。ほとんど影の中にある運河に面した建物に次第に朝の光が斜めに差し込み始める。ヴェネツィアの建物の壁の色は明るいパステル調の色をしたものが多いが特にピンク色をしたものが目に残る。今回のホテルの窓から見える建物には実際ピンクが多い。建物の一部に朝の光が当たると、当然その光は陰の中に拡散し、いまだ日の当らない部分を染め上げる。だからここから見える風景は影の中もピンクがかった暖かい印象が強い。それが運河の水の緑と対比されて一層鮮やかに感じられる。このような色彩は日本の中ではあまり見ることがなかった。ここならではのものだ。鏡のような水面に一艘のボートが波紋を残しながら通り過ぎていくと、逆さの街は水平方向の縞模様の中にはかき消され5分間は元に戻ることはない。そんな変化を楽しみながらしばらくの時を過ごす。
遅めの朝食をとり、ゆっくりと宿を出る。徒歩でリアルト橋方面に向かって歩き出す。迷路のように入り組んだ道を歩いて行くと、しばらくして広い運河に出る。周辺に商店が立ち並ぶ賑わった一帯。確かに橋は素晴らしいがあまりにも人が多くてゆっくり眺めていられる感じじゃない。ただ渡るだけですます。対岸に続く商店街の屋台で紙コップ入りの氷で冷やした果物と、果物を絞ったジュースを売っていた。1.5ユーロくらいだったか。暑いしのどが渇いたので買って食べる。子供達が頼んだ果物は新鮮で味もよく大当たりだったが自分が頼んだマンゴージュースは明らかに水で薄められていてハズレ。…道は次第に細くなって行くものの、お土産物の店が続く道をゆっくり歩く。サンポーロ広場を過ぎてさらに言った先に、最初の目的地、サンタ・マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ教会がある。ここまで来ると人影もだいぶまばらになっていた。腹も減ったのでちょうど教会の入り口の正面の小さな運河を渡ったところにあるいかにも地元のカフェのような店に入った。サンドイッチをいくつかとカプチーノを頼む。店にはそれほど客が頻繁に出入りしているわけではなく、店の主人は暇になると客席のほうに出てきて馴染みの客と適当にしゃべっている。店の真ん中で多股開いてどの客より偉そうにデーンと座っているので、ちょっと見ただけでは店員に見えない。あとからはいってきたアメリカ人が、入ってくるなり店の人がいないので今、誰もいないのかと聞くと、デーンと座ったまま、「I’m working」と答えていた。
アメリカ人は本当なのか冗談なのか推し量ることができず、こっちに向かって「本当なの?」と聞く始末。しかし食べたサンドイッチは具だくさんでなかなかの味。店の雰囲気自体も庶民的で悪くなかった。ところで気になるのが値段。サンドイッチにも値段が書かれておらず、カプチーノもメニューを見て頼んだわけではない。サンドイッチは途中で一つ追加注文した。ぼられるかもしれないなあ。というのが妻との一致した一意見。いかにも適当そうで平気で吹っかけてきそうにも見える。恐る恐る会計を済ませようとすると、意外にもちゃんと「サンドイッチ5つとカプチーノ2つだね。」と確認しながら16ユーロと答える。あらま、実に良心的じゃないか。昨日のテーブルチャージ料と税金分で昼飯代が出ちゃったよ。人は見かけだけで判断してはいけないようだ。
昼食後、教会前の日陰で座って休む人に交じって休む。子供達が朝食に出たパンを一つずつ持ってきていて、集まってくるハトやカモメにちぎって投げてやる。子供たちにとってはどこに行ってもそんなことのほうが楽しいのだ。
教会の中にはティツィアーノとジョバンニ・ベリーニの祭壇画がある。ここ、ヴェネツィアはキャンバスが使い始められた場所。ローマやフィレンツェの教会の壁や天井にフレスコ画が描かれているのに対し、ここではその多くがキャンバスに描かれた巨大な油絵だ。実際に教会で作品を見るのと画集の図版で見るのとの違いは、その作品の大きさの違いとと共にその作品の置かれた状況そのものの中で見られることだ。ここにあるジョバンニ・ベリーニの作品を見ると、そのフレームのアーチやそれを支える柱の形や質感そのものが絵画の中にもそのまま取り込まれ、描かれた平面の奥にさらに奥行きを持って空間がつながっているように意図的に仕組まれているのがわかる。あたかもそこにじっさいの聖母子が存在しているように描き出したいのだ。写真やビデオ、あらゆる映像が一般に氾濫する現代にはもはや失われつつある、存在に対する切実な思いがここにあるようにも思える。
教会を出て、アカデミア美術館に向かう。途中、見覚えのある場所に出た。学生時代にもここを訪れていたのだ。名前さえ覚えていなかったサンタ・マルゲリータ広場。かつてここのベンチに座って絵を描いた。途中老人に時間を聞かれ時計を見せるが目がよく見えないというので指で数字を示しながら大声で日本語で答えたことを思い出す。絵に書いた場所は何十年たっても忘れないもののようだ。広場に入った瞬間に、その場所を見るまでもなくそことわかった。不思議な感覚だ。
アカデミア美術館は小さな美術館だが、チントレットの巨大な作品がある。かつて来た時にはまだ名前もよく知らなかったジョルジョーネの描いた老婆の肖像に感動したことを思い出す。だいぶ内部の展示の仕方が変わってしまったようでかつて見たときの記憶はまるで思い出せないほどだったが、ジョルジョーネのその作品には再び出会うことができた。チントレットの作品は充実しているのだが、それより今回は、むしろジョバンニ・ベリーニの良質な作品群に感動を覚えた。まだティツィアーノ達の固練り絵の具による厚塗りの表現がなされ始める以前の絵画。技法的にはむしろフランドル絵画に近い。しかしフランドル絵画の硬い印象とは違う。テンペラによる緻密な下層描きのハッチングが部分的に透けて見えるほどの薄塗りのパートもある。色彩が美しい。これほどまとめてジョバンニ・ベリーニの作品を見る機会はこれまでなかった。それだけでもここに来た価値はある。
美術館を出て運河沿いに歩き、島の先端にあるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会へ。誰もがアカデミア橋から見たこの教会を絵に描くような有名な教会。しかし中に入るのは初めてだ。ここにもティツィアーノの作品があるが、それほど目を引くような作品ではない。おおらかな印象はここでも同じ。たぶんイタリアの教会の作りが巨大なクーポラの下の空間を大きく取ることでそう見させているのかも知れない。空間があまり柱で細かく区切られていないので広々と感じられる。床石があちこち欠けている姿が時の重さを感じさせる。
ホテルへの帰り道、ハトの死骸が落ちていた。別にだからどうということではないのだが、フランスにしてもここにしても、よくハトの死骸を目にする。日本ではあまり見たことがないのだが。逆にいえばハトはいっぱいいるのになんで日本ではほとんど目にしないのだろう。
夕食はまたも近所でサンドイッチ。昨日の余計な出費の分を取り返さなければ。食後、まだ明るいので再びサンマルコ広場に出る。広場から海に出ると、対岸のサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会が夕日に映えていた。子供達は船着き場で裸足になり水遊びを始める。とにかく子供にとっては遠くの風景より”半径2メートル以内の足元”なのだ。
ちょうど「溜息の橋」の下の運河の入り口だったのでいくつものゴンドラ達が出入りしている。つくづくゴンドラの船乗りたちの技術には感心してしまう。あの長いゴンドラをたったオール1本で自由に操る。細い運河の曲がり角で、2,3艘のゴンドラがギリギリのところでぶつかることなくすれ違う。しかも見ている限り、当の船乗りはちっとも必死に操縦している感じがない。最低限の手間で努力しているふうにも見せず、船乗り同士、冗談を言いながら平然とこなしている。この船着き場は乗客の乗り降りもあるのだが、船乗りの補給場でもあるようで、時折仲間からビンの酒を受け取っては出て行く姿も見られる。ガソリン補給と言ったところか。よく見ると、足元は磨かれた皮靴でシャツもピシッとアイロンが効いている。一言で行って”粋”だ。いくら見ていても飽きそうにない。
しばらく見ているといつの間にかあたりはうす暗くなってきた。子供達は濡れた足のまま、靴を持って裸足で帰る。サンマルコ広場にも明りがついた。これから夜遅くまでにぎわいが続くことだろう。我々の旅行もここで終わり、翌日には飛行機に乗って再びパリに向かう。家についてまず思ったこと。やっぱりパリは涼しい。