アムステルダムの国立ミュージアムは現在改装中のようだ。以前、何かでその美術館の改装に関するごたごたを扱ったドキュメンタリー映画が紹介されているのを見た気がする。いまだにもめているのだろうか。とにかく美術館はかなり縮小されたスペースで展示されているようだ。幸い観たかった作品はほぼすべて展示されているので見るのには問題なかった。美術館前には既に行列ができていた。ルーブルでできる行列のように長くはないが、美術館内の混雑を避けるためか、列はなかなか先に進まない。30分以上待ってようやく入ることができた。以前来た時にはまだバカンスシーズンでなかったこともあるだろうが、館内がガラガラだったことをおぼえている。1つの部屋に自分以外誰もいないような状態。監視員さえまばらだったため、思わずレンブラントの「エルサレムの破壊を嘆くエレミヤ」に触ってしまったほど。今は同じその絵の前に人々があふれ、とても触るどころではない。
「ユダヤの花嫁(イサクとリベカ)」。非常に美しい作品。その輝く男性の袖の部分は、ナイフによるものとも筆によるものともはっきりわダイレクトに見えてくる。男性の服の表現では、近寄るとグレーズが乾かないうちにナイフの先で素早く表面をひっかいて下の色を出し、色に複雑さをもたらしているのが判る。女性の赤いスカート部分では分厚く塗られた下層の赤の上に赤レーキのグレーズがかけられているが、ここでもただ単にかけてあるだけでなく、その上からやはりナイフの腹の部分で大胆にしごくようにしながら色に変化を与えている。部分的に見るとかなりごてごてと複雑な作業が繰り返されているが、全体の中でそれらは決してうるさくも、鈍くもなってはおらず、統一感のあるやわらかいトーンとして見えている。
「アムステルダムの織物商組合の見本調査官たち」。全体としては比較的薄塗りで仕上げられている作品だが、その手前の赤いテーブルクロスにあたったハイライト部分のどっしりとした厚塗りは、それだけでも抽象的な物体としての強さを持つ。
「夜警」。学生のころここに来た時には、何者かによってこの絵が傷つけられるという事件があった後だったため、この絵の前だけに柵が設けられ、監視員が立つという特別扱いになっていた。しかし今回はその時よりさらに扱いは厳重になり、柵と作品の距離は2メートル近くだったろうか…。中央に描かれた黒い服を着た画面上の主役、隊長(バニング・コック)。暗い背景の中にあっていかに黒い服の人物を浮き立たせるか、レンブラントが様々な操作を施しているのがわかる。黒い衣装は明暗のボリュームを見せるのを犠牲にして黒という”色面”の強さを優先させられている。その黒は強い光に照らされているにもかかわらず、他のどの部分より黒く、襟の白と布の赤という”色面”の強いコントラストをもって観る者の目を引き付ける。その黒を引き立てるように隊長の周りの群衆は、床にあたった光の反射の柔らかい光の中でそのトーンを明度、彩度共に中間的な中に抑えられ、画面の奥に退かされている。さらにその黒は副隊長と、奥まったところに発光するように存在する少女の、共に明るい色調に挟まれることによって強められる。その手前につきだされた手はいやが上にも観る者の意識をそこに集中させ、背後ではためく旗の軸、兵士によって斜め上につきだされた槍の方向性はまるで隊長の上半身から放射状にのびていくかのような広がりを見せ、観客の視線をその中心へと導く。多くの人物が描かれていながら、それらは画家の筆によって統制され、一つの大きな動きのある構図の中での役割を演じている。この絵のあるちょうど反対側にはやはり同時代に描かれた別の画家による同じような集団肖像画があるが、そこに描き出された人物たちは注文主達の依頼に忠実に従い、どの人物も同じように念入りに、また公平に、注意深く描き出されている。しかしそこには絵画としての骨格や強弱、リズムは存在しない。そこに大きな違いがある。
フェルメールの「牛乳を注ぐ女」「小路」は日本に来た時にも見ているが、特に「牛乳を注ぐ女」は柵のはるか向こう、行列の間を縫うようにしか見ることができなかった。ここでは人が多いとはいえ、見る気になれば間近に見ることができる。スカートの青の鮮やかさは学生のころここで見たときの強烈な印象と変わらない。どっしりとした構図、澄み渡った空間、美しい絵肌。フェルメールの作品は初期と晩年でずいぶん作風が変わってくるが、やはりどっしりと絵の具をのせている初期の作品に引かれるのは個人的な趣味にすぎないのだろうか。
美術館を出るともう昼近かった。ちょうど美術館裏の広場の一角に食堂があったのでそこに入る。前の日から何となく気付いていたのだが、こちらではホテルにしてもカフェや食堂にしても、あちこちに花が飾られている。しかも良く見るとそれらはほとんどが造花だ。この食堂もそう。そしてこちらの店は外は別として、室内は非常に暗い。照明もあまり点いておらず、マクドナルドのような店でさえ、外から見ると「休みかな?」と思うほど。暗い室内にろうそく。…というのがこちらの一般的なスタイルのようだ。妻が言う。「こうやって実際こちらに来てみると、なんとなくレンブラントがなんであんな絵を描くのかわかる気がするね。」こちらでは今でも暗闇が日常の中に自然に存在するようだ。
食事が終わってしばらく広場で子供を遊ばせる。広場の一角に大きな文字が積み木のように立っており、人々がよじ登ったりしながら記念写真をとっている。読んでみると、”I AMSTERDAM”…なるほど。子供達が同じようによじ登りたがるのでのせてやると大喜び。それを見ていた近くの女性たちが自分達もやりたいと順番を待っていた。子供達を下ろすとさっそく子供のようにはしゃぎながら登ろうとするのだが、体が大きくて隙間に入っていけない。大騒ぎしながらじたばたする様子を見ていると、どうやらイタリア人。やはりここでも…。
美術館前の運河に船の発着所があった。見ると足こぎボートの貸し出しもしているようなので乗ってみることにした。1時間の貸し出しでいくつかある他の発着所のどこに返してもいいという。ちょっとした交通手段のようなもの。ただ、実際は歩いたほうがずっと速そうだが。ちょうどいいのでダム広場方面の発着所まで行ってみることに。乗ってみると意外に操縦が難しい。行き交う水上バスをやり過ごしながらのんびりあたりの風景を楽しむ。息子はほとんど遊園地気分で大はしゃぎ。後ろに乗っている娘は自分も漕ぎたいと騒ぎ出す。しかし実際やらせてみようとしても全く足が届かず3分で却下。あとは到着までぐずりまくるばかりでしまいには眠ってしまい、その後ずっと重い肉の塊と化して親を苦しめることになる。ダム広場からトラムに乗り再びレンブラントの家に。今日こそ中を見てやろうと意気込むが、気付くと閉館15分前だった。仕方なくこれまたすでに閉店の準備を始めている蚤の市をひやかすことにした。骨董品屋という感じの店はあまりないが、ガラクタ市的な店や土産物屋などが並んでいる。そんな中、どこのものともいつのものとも判らない、ちょうどエスプレッソ一杯分くらいにちょうど良さそうな陶器のカップがあったので2ユーロ(230円くらい?)で買った。結構気に入っている。夕飯はレンブラントの家の正面にあるカフェでとった。次の日はデン・ハーグに行くので来られない。帰る前になんとかまた来てやるぞ。と、心に誓いながら…。