日本に帰国してから、妻はなんだか生き生きしている。不自由なフランス生活から解放されたというのは確かなことではある。ただしそれは不自由なフランスでの経験のおかげともいえる。我が家の現状はと言えばフランスでの1年が文化庁から支給されたお金で足りるわけもなく(なんといっても家族4人で行ったのだ。)、なけなしの貯金もほぼ使い果たしてすっからかん、何か買い物をするにもびくびくしながらの生活だ。ちょっと悲観的になろうとすればいくらでも落ち込むような要素はごろごろしているのだが、この1年間の経験を通して妻は「現在に感謝する術」を身に着けたらしい。お金がないなら自分も働く。…そんな勢いでいろいろ準備を始めている。渡仏前からすでに始めていた韓国語教室や子供のための美術教室の再開に向けた準備に加えて今、新しく韓国料理の教室を考えているらしい。日本に来ての約10年間は、自ら意識はしていなかったものの、実はどこかに自分が韓国人であることに対する後ろめたさのようなものを感じていたという。別に韓国人が劣っているわけでもなんでもないのに、日本という社会の中にいると知らないうちにそんな風に感じるようになるのだ。今でこそ、韓流ブームの中にあって韓国人に対する差別観はなくなったかのように見える。しかしよくよく見れば今だ日本人の中にある、根拠もなく、西洋人には弱いがアジアの人たちをなんとなく下に見ようとする傾向は失われてはいない。そんな空気が彼女の内面に影響を与えていたのかもしれない。
ところが1年間フランスに行ってみると、そこには多種多様な人種、民族の人たちがごちゃ混ぜに生活している。フランス人から見れば、日本人も韓国人もおんなじようなもん。区別もない。さまざまな人たちがそれぞれ自分たちらしくそのままで生きている様を見て妻の考えも随分変わったようだ。日本という国にあってこれまではどこか、自身が韓国人であることをマイナスにとらえていた。確かに子供の学校のこと一つをとっても、一見もはや普通の日本人と変わらないように見えたとしても、毎日のように配られてくる山のようなお知らせを見ても文が読みにくいことは当然なうえに、日本人には当たり前の習慣も彼女にとっては未知のことばかり。父兄たちの中で”普通のお母さん並み”に子供のことをこなすこと自体、こちらの想像を超える難しさを伴う。不利な面を探すとすればいくらでも見つけることができる。しかしこの1年を経て妻は自分が日本人のようでないことに対してそれを自分の特性とみるようになったようだ。日本人の中にあって日本人のように暮らそうと思えば劣った部分が見えてくるが、韓国人としての自分を見れば、日本人の話せない韓国語を話し、改めて学ぶまでもなく韓国の味覚を持っている。ならばそれを生かせばいい。それが周囲の人たちのために生かせるのなら、韓国人であるということは一つの特技、また才能になる。
…そんなわけで今日の昼食は見事な韓国料理となった。近い将来始める予定の料理教室に向けての予行演習といったところ。夜も残ったものをささっと利用してのまさに韓国式家庭料理。今までは分量など、「適当に」やってきたものが、教えるとなったら「適当に。」では済まされなくなる。しばらくは素晴らしい韓国料理をしょっちゅう味わうことができそうだ。妻の”才能”のおかげでそこらの焼き肉店じゃ味わえない本格的で、健康的な韓国料理を日常的に”お安く”味わうことができると考えると、こっちまでちょっと前向きな気分になってくる。