焼き物好き(その2)-濱中史朗展

元麻布の「さる山」で開かれている濱中史朗展に行ってきた。もう今度の日曜で終わっちゃうな。
http://openers.jp/interior_exterior/saruyama_osamu/saruyama20111210.html

濱中史朗さんは萩にある大屋窯の作家だが、いわゆる”萩らしい”作家とはちょっと違う。彼との出会いはつい2年前とも言えるし10年前ともいえる不思議なものだった。
もう10年近く前、2度目の萩旅行は妻との新婚旅行だった。当時、(もちろん今もだが、)美術雑誌で「貧乏力」というおかしな特集に取り上げられるような貧乏生活の中、我々の新婚旅行は結婚から半年後、夜行バスを利用してのユースホステルに泊まりという3泊4日の新婚旅行らしからぬ旅だった。真夏のうだるような暑さの中、自転車で萩中の窯元を訪ね回るという自分の趣味を全面的に押し付けたような旅。その時立ち寄った店、「俥宿 天十平」。古い、庭付きの趣のある建物に、焼き物や日本に限ることのない東南アジアやアフリカ、様々な雑貨が並べられ、奥ではちょっとしたティ―ルームも併設された何かほっとさせられるしゃれた店だ。
http://www.haginet.ne.jp/users/kurumayado/

妻と一緒にティ―ルームでお茶を飲んで一休みしているときにふとテーブルに置かれた黒い小さな花瓶に目が留まった。なんのてらいもなく作られたような花瓶。でもその形と言い、肌合いと言い、ちっとも萩らしくはないが妙に自分の肌に合うとでもいうのか、とにかく気になったのだ。店の人に聞いてみると、「これは大屋窯の息子さんの作品ですよ。」という。大屋窯と言えば萩でも有名な窯元、前にも行ったことがある。「ああ、息子さんも焼き物をやっているんだ…。」その時聞いた値段ははっきり覚えていないが、とにかく自分の持っていた財布の中身では払えそうになく、後ろ髪をひかれるような気持ちで店を後にしたことを覚えている。

2年前、子供たちの夏休みに合わせ、今度は家族で再び萩に行くことにした。さすがに今度は夜行バスで…というわけにはいかず、飛行機とレンタカーでの旅、なぜか人っ子一人いないような真っ青で広く美しいビーチを独り占め。という贅沢な海水浴を楽しみながら、知り合いの窯元を再び訪ねて回った。当然再び訪れた大屋窯。ここはほかの窯元とはちょっと違う雰囲気を持っているようだ。一言でいうとしゃれている。もちろんほかの窯元もどこも日本的な趣があるのだが、ここのは単に作業場としての趣ある雰囲気だけではない、もっと意識的な面白さがある。庭の作りこみから焼き物の展示場におかれたちょっとした置物まで、すべてに気が配られているのがわかる。最初に訪れた時は室内にアフリカ製のベッドのようなものがどんとおかれていた。今回行ったときには窯で働くスタッフたちと一緒に食べるためか、大きな台所が新設されていた。土で作られた壁面からは植物が生え出ている。無造作に重ねられた、窯の食器たち。ふつう、窯元では主人の作る高価な作品に対し、弟子たちの作るものはごくごく一般的ないかにもお土産用の面白みのないものが多いのだが、大家窯の場合は窯の作品自体も遊び心やデザイン性に優れて、結構面白い、たぶん若いスタッフが多いのだろう、きっとここの職場は楽しいだろうことは働く様子を見なくても想像できる。10年前に来たときは、外で傷物というのか、ちょっと一部分だけ釉薬が外れているものなど、売り物にはならないものが格安で売られていたのでいくつか買って、今でも我が家の食卓で活躍している。

懐かしく思いながら展示場を見ているときに現れた若い青年、それが濱中史朗さん…、つまりここの2代目だった。今では大屋窯の代表だという。話しているうちに10年前の俥宿でのことを思い出し、もしかしたらそれがあなたですか?と聞いたところ、そうだという。8年近い前の話だというのにその時のことを知っていたらしい。店の人がその話を彼にしていたという。彼のほうでもこちらの名前を美術雑誌で見て知っていてくれたらしく、(確か店の人にこちらの名前までは名乗っていなかったはずだが…。)何か初対面にもかかわらず不思議な感覚を覚えた。彼の作業場を見せてもらったが、ずっしりとした土壁におおきな黒い革のソファー、古民家の倉庫のようなだだっ広い空間に手を入れながら、自分だけの贅沢な空間を作り上げていた。父親の濱中月村さんの作品はいかにも豪快なイメージがある。萩の作家だが、必ずしも萩にこだわることない幅広い作品を作っている。対する史朗さんの作品はほとんど父親に似ていない。豪快さというよりは緻密さ、動に対して静…。焼き物の世界のことはよくはわからないが、親子代々にわたって受け継がれることの多い伝統的な焼き物の世界にあって、偉大な父を持つ2代目3代目は往々にして先代の影響から逃れられず、言ってみれば薄まった先代のような、面白みに欠ける作品を作ってしまっているケースを多く見るように感じるのだが、彼の場合は初めから父親とは別の道を行っている。父親の影響があるとすれば、萩だから萩らしく、という固定概念から解放されていることだろう。ある意味で理想的な影響の受け方…。

今回の作品は白磁ということだったが前回の個展の時と同じ黒い磁器も同じくらい置かれていた。うちにはこの黒い磁器がいくつかあるが、マンガン釉で焼かれたというそれらの黒は、マットな金属質の光沢からまるで黒いレザーのような質感のものもあって、一言で”黒”と表現するのでは足りない微妙なニュアンスを持っている。今回の白磁にしても一般にイメージする白磁の質感とは微妙に違う。「何か温かみがある」という言葉ではちょっと足りない。少なくとも無機質な白ではない。釉薬も一般的にイメージするピカピカの光沢ではなく草木灰の釉らしいその表面は半光沢の優しさがある。頭蓋骨をかたどったというボウルには豚の骨で作った釉薬が使われていたりする。そのマットな肌はまさに骨そのものの質感のようで面白い。

彼の作る器のフォルムはいかにもシャープでぎりぎりの緊張感を持っていながら決して無機質でなく手のぬくもりを感じさせる。現代的シンプルさを持ちながらどこかで古風な渋みがある、そんな重さと軽さの心地いいバランスが自分のなかの感覚と合ってか、妙に魅かれる。帰国後のすっからかんの懐事情でなければいくつか買いたいものはあったのだが…。今回はそんな事情ですみませんとその場を後にした。そう、10年前の時のように。

ちょっといろいろ書きすぎた。興味のある人は一度実物を見てください。ちなみに大屋窯のホームページは
http://www7.ocn.ne.jp/~ooya/
です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください