「存在の美学」出品作の締め切りに追われている。おとといは図録用画像の提出期限になっていた。本来3月前半だったのを延ばしに延ばしてもらっての期限だったが、結局全くの未完成状態での撮影となった。ここまで”未完成率の高い”図録用写真は初めて。本当なら完成させての撮影に臨むはずだったのだが…。図録は後々まで残るもの。これを手に入れた人にとっては今回の作品は図録の状態の方で記憶されることになってしまうため、何とか見られるところまでもっていきたかったのだが…。見る人にとって途中段階はこんな感じなんだという種明かし的な価値を持つかもしれないだろうと思う意外に自分を慰める術はない。
そんなこんなでばたついているうちに、知らなかったのだが、庭では春休みを持て余している息子によって「ムシムシパラダイス」なるものが建設されつつあった。やたらこの頃「お父さん、畑の隅っこ使ってもいい?」とか「池の近く自由に使ってもいい?」とか聞いてくるのでそれどころじゃない私は「いいよいいよ。やりたいようにやってみな?」とめんどくさそうに答えていたのだが、先日庭を歩いているときに訳の分からぬ一角の存在を発見することになった。結構な深さに掘った穴には半分堆肥化した落ち葉を敷いたカブトの幼虫の寝床らしきもの、その隣に盛り上げた山には苔がびっしり貼られている、私が冬の間伸びすぎてばっさり剪定した木の枝(結構太いものもある)を集めて埋めた、枯れ山みたいなもの…、これが彼なりの虫の楽園だそうで、どうやらせっせと見つけた虫やらトカゲやらを運び込んでいるらしい。別にわざわざそんなことやらなくったって夏になれば庭中が手が付けられないほどの虫の楽園なのだが…。なんてことは言わないでおこう。彼にとってはこれが楽しくて仕方ないのだ。ある意味ではそんな息子がうらやましくも思える。自分が子供の頃は横浜のごみごみした古い住宅街で育ったため、これほど土や生き物たちを身近に楽しむことなどできなかった。近所でクワガタやカブトムシを見つけたなんて子がいると、それはヒーローだった。しかしここでは自分のうちの庭で勝手にカブトの幼虫が育っているし、木の枝を見るとすぐにカマキリの卵が見つかる。灯篭の中では毎年シジュウカラが子育てをしているし、時期になるとホトトギスのきれいなさえずりが辺りに響く。6月を過ぎると寒くなる11月まで、辺りは蚊だらけで外に出るのも大変だが、そんな中でも子供達はお構いなし。ほっとけば1日中泥にまみれて庭で遊んでいる。これは都会っ子にはなかなか経験できない貴重な時間だ。
もう一つ、最近息子が始めたもの。畳3畳くらいの畑。親の見よう見まねでやったらしいが、やってることそのものはめちゃくちゃ。でもここは下手にああだこうだ口出しせず、面白いからそのままやらせてみることにしよう。ここにまかれたもの…実は庭の夏ミカンから出た種。一面にまかれているらしい。それだけじゃなんなので最近まいた小松菜の種を分けてやり、「これもまいてみな。」と言っておいたが、果たしてどんなことになるのだろうか。