今、国立の「コート・
ギャラリー国立」で開かれている「水上泰財展」http://www.courtgallery-k.com/ に昨日行ってきた。
水上さんは武蔵野美術大学油絵科の専任教授。私にとっては大学時代の3年上の先輩にあたる。前にもこのブログで書いたかもしれないが、我々の学生当時、ムサビは一言でいうと写実の大学だった。もちろんこれはちょっと極端な言い方で、実際には、もう少し多様な絵を描く学生たちがいたのだが、なんとなく各学年にがっちりと物を視てオーソドックスな静物画やら人物画を描く、写実系の代表選手みたいなのがいて、競い合っているような空気があったとでもいえばいいのだろうか。なので卒業制作展を観るときには、今年はいったいどんな凄い写実がいるんだろうと興味津々で見たものだった。しかしその年はちょっと違っていた。私がこりゃすごいと度肝を抜かれたのは、いわゆるそんな写実の絵ではなかった。なにやらテレビを前にしてこちらにでっぷりとした広い背中を向け、今まさにこちらに振り向こうとしている男の像、(ずいぶん前のことなのでどこまで正確に記憶しているかはわからないが…。)細部の説明的な描写などなく、明らかにデフォルメされたフォルムは、実際にその絵が特定のモデルを目の前に描かれたものでないことを物語っていた。しかしその肥満体の肉付きの生々しさ、気色悪いようでありながらどこかコミカルな人物描写、その何とも言い表しがたい不思議さには妙な説得力があった。今まで見たことのない、だれにも真似できないような作品。…それが水上作品との出会いだった。…数年後、面識のできたころに聞いてみたことがある。「どっからああいう絵が出てくるんですか?モデルを観てるわけじゃないんでしょう?」当時太った半裸の人物の群像をよく描いていた水上さんの答え。「うーん。大相撲とかさ。大乃国の脇腹の肉ってこんななのか、なんてね。」大柄で、ゆったりしていて、いつもどこか半笑いな顔、作品と本人と雰囲気がぴったりしているというのは水上さんを知っている人なら誰もが感じるところだろう。
今回の展覧会で最初に私の目を引いた作品…、見た瞬間に思い浮かんだのはルーブル美術館の「アヴ
ィニョンのピエタ」そし
てプラド美術館のヴァン・デル・ウェイデン作、「十字架降下」。本人に確かめたわけではないが、おそらくそうした西洋のキリスト教絵画の典型的な図像を意識した作品だろう。しかしキリストの死とそれを悲しむ家族、信徒たちという構図も、水上さんの手にかかると老人介護の一場面に変身を遂げてしまう。介護されるものとその家族、それに対する介護側の微妙な心理状態が、見事でありながら、まるで舞台の上の役者たちを観るようで、どこかコミカルにさえ見えてくる。西洋古典絵画を引用しながら、モチーフや技法の引用としてではなく、現代、日本に生きる自分自身の生活そのものとしてすっかり消化して出してくるところが水上さんらしい。水上さんの手にかかると、日常的な夜の犬の散歩風景も、やきそば焼いてるおばさんも、木漏れ日の入る風呂場や、なんということのない風景さえも、すべてが不思議なドラマ性を帯びてくる。そしてそれらは豊かな色彩、効果的な明暗構成といった骨太の造形力という堅固なベースに支えられている。ただ物の表面をひたすらそっくり説明しつくすだけの写実作家がいることを思えば、水上さんは、その制作動機に於いて彼らよりずっと本質的な意味でのリアリズム作家だと言える。
…そう、あの半笑いの細めた目を侮ってはいけないのだ。
展覧会は来週の火曜日(1月14日)まで。お勧めです。
2014-01-12
小尾修様
ご高覧有り難うございました。ご批評も有り難く、拝読しました。私たちが敬愛する古典絵画に少しでも近づきたいと、穴の空く程見て、その近づき方があの結果でありまして、恥ずかしいのですが、私の考えるリアルをこれからも描き続けようと改めて思いました。有り難うございました。