フランスにいた時に買った手漉きの分厚い水彩紙が、まだあまり使われることなくアトリエに放置してあった。紙そのものに重量感があり、粗い表面の武骨な存在感に魅かれて買ってきたもの。でもうまい使い方が思いつかずにそのままになっていた。
せっかくの紙をそのまま放置してももったいないので試し描き的に使ってみる
ことにした。水彩の黒とわずかな褐色を混ぜたものをごく薄く刷毛塗りして中間トーンを作り、鉛筆で描き始めてみる。厚みのある紙とはいえ一旦水を含むと反りが出てくる。さすがに細かに波打つほどにはならないが、全体が反り返った感じになり、乾いても完全に元に戻ることはない。硬質な強いデッサンにしたいと思うので、パネルに直貼りすることにし
た。いったん乾かした後、部屋の片隅にあったちょうどよさそうなパネルを見つけ、描きかけの絵をパネルのサイズに合わせてみる。手漉きの紙の不揃いな縁の感じを殺したくはないのでカッターは使わず、縁をそのまま見せられるようにパネルより一回り小さめのサイズに合わせ、一辺だけを定規をあてがって手で切った。濃いめの膠を紙の表面につかないように気を付けながらパネルと紙の裏にたっぷり塗り、パネルに紙を貼りつける。大きめの紙をあてがって上から丹念に圧をかけ、空気が間に残らないように抜いていく。その後、別のパネルを上からかぶせた上に重い画集を何冊も積み上げ重しをして数時間放置した。午後にはほぼしっかり接着できていたので重しを取り、しばらく風に当てて充分に乾かしてからさらに鉛筆で描き込んでみた。
土台がしっかりした分、しっかりと描きやすい状態になったが、この紙、表面が粗い割に接着剤分が強いのか、それほど鉛筆がどんどんのっていく感じはない。固めの鉛筆ではあまり黒が強く出ないので3B位の柔らかめの鉛筆を使って描き進める。柔らかめの鉛筆で粗い表面の紙に描く場合、紙の表面の凸部にざらっとのる感じは効果的に出しやすいが、凹部までしっかり鉛筆のトーンを入れ込んでいくのは難しくなる。そのためには指や擦筆、ティッシュペーパーなどで浮いた調子を刷り込みながら描くことになる。ある程度細密な描き込みをしようと思えばひたすら刷り込みながら描けばいいのだが、やりすぎると何のためにこの紙を使っているのかわからなくなる。紙そのものの持つ力を生かそうと思えば、このざらざら感をむしろ積極的に生かさなければもったいない。
そんなふうにある程度描き進めるが、もう少し鉛筆の表情に変化が欲しくなった。そこで、一度全体を壊すことにした。髪をパネルに貼りつけたときの膠水を今度は数倍に薄めてそこに白亜の顔料を振り込むように入れ混ぜる。新聞紙に試し塗りし、乾いた時に新聞の文字が十分透けて見えるくらいの状態に調節した色液を画面全体に塗って乾かす。そうして一旦描きこんだ画面が、やや朦朧とした感じになる。一部は鉛筆が溶けてグレーになり、暗部を明るくし、紙のまま残された明部に中間調のトーンを与える。それをもとにさらに鉛筆で暗部を、描き込んでいく。膠水を使う理由はいくつかある。白をかけるだけならガッシュやアクリルの白でも効果は同じようなものだが、そのあとの作業を考えれば私の場合これが便利だから。膠は水溶性なのでガッシュと同じように使えるが、ガッシュと比べると、いったん乾いた場合、しばらくは水で戻らない。なので上から水彩を使おうとする場合に塗った瞬間に下の白が溶け出すということが避けられる。アクリルでやった場合は水に再溶解しないのでその意味では上に水彩を使う時にはやや近い効果は得られるものの、アクリル樹脂は幕を強く張る。そのために今度はしみこんでいきにくくなり、定着が悪い。それでも一層はのせられるだろうが、何回か水彩を重ねようとすると染み込んでいないため、その都度下の色を溶かしてしみを作りやすくしてしまう。また、上に鉛筆で描く場合に鉛筆はよくのるものの、今度は消しにくくなってしまう。カリカリと心地よく描き進めるというよりはなんだかビニール質の上に描いているようなもたついた感じとでもいおうか。
そんないくつかの理由で膠を使っている。ただし膠を使ってこのようなことをした場合、表面は堅く、また白亜の粒子のため、簡単に言うと、表面が細かなサンドペーパー状になるとでもいえばいいのか、紙の上に描くのとは明らかに違った感じになる。これまでは2Bや3Bで描いていたものが、いきなり6Hくらいじゃないと濃く出過ぎるようになる。それでもある程度調子の幅を出しながら描き込もうとするには非常にやりやすい状態になると自分では感じている。
影を深める一方、同時に少々暗くなった明部にはコンテや色鉛筆の白での描き起こしを始める。コンテと色鉛筆の白を比べると、コンテの方が滑らかなトーンの調節がきく。しかしコンテは定着性が弱いので、こすったりすれば落ちやすいし、水彩で上から描くと溶けてしまう。色鉛筆は色の効き自体はあまり強くない。またぼかせないので紙の凸部にのる感じになる。そして一度のったら落ちないので、上手く生かせばハイライトの物質感を与えるのに有効だ。
そんな具合に鉛筆とコンテ、色鉛筆で描きおこし、わずかな水彩で色の幅を与える。ある程度描いたところで再び膠で溶いた薄い白亜を刷毛塗りし、全体を整え、再び必要な部分を描きおこす。…ということを何回か繰り返すうちに画面はいよいよ硬さを増し、紙の質はまた別の魅力を持ち始めるようになった。…と、自分では感じているのだが、果たして他の人から見るとどうなのかはわからない。間に白が挟まったことで、例えば髪の毛のハイライトを描くためにニードルの引っ掻いたあとに出てくる白が利用できるようになったり、このまま進めていけばさらにこの上に油彩をのせて奥行きを出していくことも可能かもしれないが、そこまで行くと紙にに鉛筆で描く軽やかさや素材感が失われてしまうので、今回はここで止めることにしておいた。
今日はだらだらと長く書いてしまったが、絵を描くってこんなものです。描きたいものと素材と間でのやり取り。描きたいものが素材を求める側面と、素材が表現を導く側面、その間でうろうろしながら最もいい落としどころを見つけていくのが画家の仕事の半分を占めていると言ったら言い過ぎだろうか。
たぶん技法っていうのはそんなことから生まれるんでしょう。こうじゃなきゃいけないっていうマニュアルからはいい絵は生まれない。たぶん。