「わーすっげー!」「なんだこれ、だれが描いたの?」「ねえねえ、あっちの教室にも絵があるよ!」…朝の学校で子供たちが目を輝かせながら教室を行ったり来たりしている様をみていると、美術にも音楽や演劇、映画に負けない人の心を揺さぶる力の可能性ってあるんだなあ…となんだかうれしくなる。
NHKやいくつかのテレビ局の放送で見て、すでに知っている人もいるかもしれないが、「黒板ジャック」という言葉を聞いたことがある人はどれくらいいるだろうか。これは武蔵野美術大学の”旅するムサビプロジェクト”という主に教職課程の履修生たちによって運営されている活動の中の一つ。http://tabimusa.exblog.jp/休日や放課後の学校に生徒には内緒で入った武蔵野美術大学の学生たちが、教室の黒板いっぱいに思い思いの落書きをする。そして翌日登校してきた生徒たちをあっと驚かせるというもの。
恥ずかしながら私自身最近になるまで全く知らなかったのだが、ひょんなことから自分も参加することになった。いや、インターネットの画像検索で出てきた学生たちの絵を観てウズウズと絵描き魂が刺激され、こちらからやってもいいですかと手を挙げたというのが本当のところ。
数日前の日曜日がその当日だった。言われた時間に学校に行ってみると既にもう学生たちがそろって何やら打ち合わせを始めていた。今回はTBSの取材が入るとかですでにカメラもまわっている。なんだか場の悪いスタートとなった。
メンバーをみてみると、私以外に7人。知った顔もちらほら。その時に判明したことだが、偶然今回のメンバーは全員油絵科だとのこと。しかも大学1年から大学院2年、そして卒業生、さらに教員の私とダブることなく各学年ぴったり一人ずつだった。こんな偶然あるのかな?…聞くところによると、いつもは平面性を打ち出してシャープにかっこよく決めてくるデザイン科に比べ、泥臭い油絵科は”やられ気味”なんだとか。よっしゃここはひとつ油絵科の意地を見せたろうじゃないかと無駄な気合を入れて、いざ、教室という名の戦場へ。
家で簡単にイメージしてきたアイデアは、黒板いっぱいの大きな顔。画面からこちらを見据える大きな瞳に教室が映りこみ、子供たちが瞳に近付いて見れば、そこに自分たちが映っているのがわかる。一方、描かれた顔はあくまでも平面としての絵なのだが、その前をだまし絵的に画面に影を落としながら横切る紙ヒコーキやシャボン玉達。だめ押しにまるで黒板に張り付けたかに見える張り紙を描き込み、それを止めるマグネットだけは本物を使って、実物と描かれたものが入り組んだ変な感覚を味わえるような仕掛け。そして紙には何か子供たちに向けたメッセージでも書けたらいいな。
ざっといえばそんなところ。でも経験がないのでいったい限られた時間でどこまでやれるのか想像もつかなかった。
あらかじめ聞いておいた黒板のサイズの比率に合わせて作ってきたエスキース(下描き)、拡大するためにメジャーで測り、角材を定規に縦横にマス目を入れる。それを目安に転写していくのだが、しばらく進めるうちに「なんか変だぞ」と気付いた。なんだか微妙に横に引き伸ばされた感じ。そこでエスキースと実際をもう一度測り直すと、聞いていたサイズと実際の比率が違うことが判明。最初からやり直すことに。約1時間分の時間のロス。気を取り直して描き始める。形は何とかおさまったが、
いざ、色を入れ始めると、これがなかなか手ごわい。なんとなく色つきの紙にパステルで描くような感じをイメージしていたのだが、やはり黒板とチョークは絵を描くために作られているわけではない。色を重ねようとしても下の色を掻き落としてしまい、なかなか色がのってくれないし、ぼかそうとしても中間のトーンはなかなかコントロールできず、いきなり色が落ちてしまう。午後のちょっとした休憩
時間にそんな話を”ベテラン黒板ジャッカー”の一人にしてみると、意外な答えが返ってきた。「今回の黒板はすごくいい黒板ですよ。ちょっと消しにくいけど、色がし
っかりのってくれるんです。」ほう、ベテランともなると、黒板の良し悪しまで語れるようになるらしい。…そんなこんなで悪戦苦闘している間にあっという間に時間は過ぎ終了予定の6時にはとても間に合いそうにないことがわかってきた。周りを偵察すると、線描を中心に描いている子を除けば、みんな同じようなもの、恐る恐る学校の先生たちの顔を伺うと、「いくらでも残りますから大丈夫ですよ」という天使のようなお言葉が返ってきた。そこですっかり甘えて約1時間の延長をお願いすることに。
とりあえずチョークでの表現の限界も見えてきた。当初イメージしていた細密描写はあきらめ、一部、描き込む場所を除いてとにかく全体感をつかんで見せることに集中することに方向転換した。最終的に終わったのは夜も7時をまわってから。終わった順に流れ解散し、家路についた。
つづく。