我が家にしては季節外れの焚火。いつもは冬のうちに1,2回やる恒例行事だが、今年の冬おろした木の枝の量が半端じゃなく、冬の間に2,3回やる予定が1回しかできず、庭が大変な状態になっていた。やらなきゃやらなきゃと思いつつ、気付けばすでに梅雨に入ってしまっていた。
数年前、長男が小学6年生のころからこの焚火はちょっとしたイベントと化していて、子供たちが「労働力」として参加しつつ、それぞれ勝手に持ち寄ったマシュマロやらベーコンやらを焼いて食べながら1日楽しむという、大変都合のよい企画となっていた。http://www.osamu-obi.com/blog/2013/12/post-259.html
ただ、さすがに中学生にもなれば焚火なんか興味もなくなるだろうし、それぞれ部活やら塾通いで忙しくてもう呼んでも来ないだろうなあ…、などと勝手に想像していたのだが、意外にも中学2年にもなった息子のほうから「次の焚火、いつやるの?」なんてしつこく聞いてくる。なんでそんなに焚火のことが気になるのかと思ったらなんと友達のほうからいつやるのか、問い合わせがあるみたい…。なんだかおもしろい。もうゲームやネットでしか遊びたがらない年頃かと思いきや、そうでもないらしい。
そんなわけで、私の仕事や梅雨の合間の天気予報、さらに中学校の試験期間のタイ
ミングとにらめっこの末、もうこのタイミングしかないだろうと先日焚火の決行と相成ったわけ。
今回は去年切り落とした直径40センチ近い太い木の幹を始め、かなりの量。たぶん1日では燃え切らないほど。朝から庭にブロックを組み、まずはよく燃えそうな乾ききった枝やこわした段ボール箱を敷き詰めた上に、一人では運べない重いやつから息子と二人で運んできては積み上げ、腕くらいの太さの枝たちはドラム缶の中に立てかけて通気性をよくし、いよいよ点火。太くて重い木だが、1年以上たってしっかり水分が抜けているからかすぐに勢いよく燃えだした。細い枝や枯葉たちは一瞬でものすごい火力を発揮するが、すぐに燃え尽きてしまう。しかし太いものはなかなか火が付かない代わりにいったん燃え出したらずっと安定して燃え続けてくれる。なかなかの出だし。
昼ご飯は妻が作ったおにぎりを食べ、火の勢いを見ながら枝をくべる。午後になるとおなじみの中学男子たちが続々と到着し始める。息子は携帯を持っていないのだが、友人がLINEで情報を回したとかで何人来るのかはわからないと言っていた。せいぜい5,6人かなあ、などと思っていたのだが、来るわ来るわ、あっという間に10人も集まってしまった。「…こいつら、暇なのか???」…なんて素直な感想が口から出てきそうになるのをぐっとこらえ、温かい目で見守ってみる。中には何人か新入りもいるようだ。数年前はみんなちびっこだったのに、今じゃあ見違えるほどに背が高くなっている。で
も、よく聞くと、まだ声変わりもしてない子もちらほら。成長の度合いも人それぞれみたいだ。初めはみんなで庭の奥から枝を運んでは火の中に投げ入れていたのだが、あまりにもペースが速すぎて火が大きくなりすぎ、収拾がつかなくなりそうなのでわきに枝を積み上げてもらうことにし私が様子を見ては投入していたのだが、そのうち子供たちが自主的に話し合って運び役と火の番人役に分かれることにした。じゃんけんで勝った3人が火の番人になれるとかで大盛り上がり。勝ち残った3人は有頂天みたいだったが、わきで見ている私から言わせれば、「たぶん、運び役のほうが楽だぞ…。」…案の定、「あっちい!何だこりゃ!」5分もたたずに「もう代わりたい」と音を上げる始末。
しかし10人の中学生男子の力はそりゃなかなかのもの、それまでのゆっくりとし
たペースが嘘みたいに次々に枝が投入され炎の勢いは増す一方。2時間ほどで庭の奥に積まれていた車2台分ほどの枝の山がほぼきれいになくなってしまった。ジュースを出してやり、一休み。そのうちに焚火の炎もだいぶ落ち着き、おき火になった一部を少し離れたところのブロック組の中にスコップで運んでかまどを作り、網と鉄板をのせてやるとあとはもうみんな慣れたもの。勝手に持ってきた食べ物を焼いて食べ始める。よくよく見るとほとんどの子がウインナーソーセージを持ってきちゃったみたいで鉄板の上はもうソーセージだらけ。さらにうちで用意してあげたこれまたソーセージを持って行ってやると、ほとんど「ウエッ!」となりそうな顔。
私は私で心強い援軍のおかげでゆっくり炎を見て楽しませてもらううち、「せっかくの火で、なんかできないかなあ…」などと思い始めていた。「待てよ?木炭なんて簡
単に作れるんじゃないか???」そこで落ちている枝を持ってきて適当な長さに切りそろえ、台所からアルミ箔を持ってきて空気が入らないようによく包み、試しに火の中に放り込んでみた。数十分後、試しにそれを取り出し十分に冷ましてから恐る恐る開けてみると、なんとなくそれらしいものになっている。こりゃいいぞ、近くに紙がなかったので試しに足元のコンクリートに描いてみる。細いものだったからかちょっと折れやす
いがまあちゃんと描けるじゃないか。試し描きのつもりがなんとなく形を描いてみたくなり適当に顔らしきものを描き始めた。なんとなく子供の顔みたいだぞ。目はこんなで鼻はこんな。髪の毛は…よし、娘を呼んできてくれ。…あ、ほうきを使うとぼかせるぞ。でも木炭紙みたいに消すのは無理かなあ…。お、木の枝でひっかくときれいにとれる。ハッチングでハイライトおこせるぞ。…なんていろいろやり始めたら楽しくなってきてしまい、もう止まらない。
そんなことやってる間にふと見ると子供たちも何やらおっぱじめている。「美しいかまど大会」だそうだ。よく見ると3チームくらいに分かれて庭にある適当なものを使いかまどらしき
ものを作っている。どうやらこれはその機能性と独創性を競う大会らしい。あるチームはオーソドックスにブロックを並べ、網を渡してその上に鍋を置き、おき火をスコップで運んで火をおこし、鍋に葉っぱやらよくわからないキノコ、木から落ちて干からびかけている夏みかんを入れて煮立てている。別のチームは砂利で土台を作り、その上に植木鉢をかぶせて中に火を入れられるように工夫してたり、火の上に水を入れた紙コップをじかにのせてたりする。水が入っていると、温度が上がらないので紙が燃えないなんて意外なことがわかったり…。よく見ていると火を起こすのがやけにうまいやつ、発想が柔らかいやつ、堅実な奴、子供たちそれぞれに特性の違いがあって役割分担が自然に生まれてきているのが面白い。「あいつ、なんであんなに火を起こすのがうまいんだ??」「ダハハ…、あいつは素手でやってるのにお前なんか軍手してても駄目じゃないか!」「よし!できた。どう?すごい良くない???」「なんだ言うほどすごくないじゃん」「あ!こっちのパクったな?」「パクってんじゃない。改良してんだよ!」「○○のやつ、普段もこれくらい一生懸命やってたらすごい成績いいはずだよなあ…。」なかなか楽しそうだ。
こんな風に火を起こすという単純な作業の中にも物の性質と使い方、発想と行動、人との協力…いろんな要素が含まれていて、それらを子供たちはスポンジみたいに五感を通して学び取り、吸収していく。たぶん机の前での勉強からではなかなか得られない体験だろう。傍から見ていてちょっと頼もしく、またうらやましくもあった。
いつの間にか周囲が暗くなり始めていた。家の中にいた妻が子供たちに話しかける。「おーい!中学生のみんな!おうちの人に電話してご飯食べて帰ってもいいか聞いて!」あまりに子供たちが楽しそうにやっているので夕飯を出すことにしたらしい。それを聞いたある子の返事。「もう連絡してありまーす!」ハハハ、すでにそのつもりでいたらしい。ちゃっかりしてること…。
そのまま暗くなるまで焼いて食べたりワイワイやりながら、8時近くになったのでみんなで後片付けをさせ、最後は恒例の花火でしめ、解散と相成った。…とは言いながら名残惜しいのかいつまでたっても帰ろうとしないので最後は「お前らもう帰れ!」…と追い出して終わった。
後日談。…今朝、焚火の後片付けをしているときに
発見。いつの間にやら私のドローイングの横におんなじような顔を描いた奴が…。犯人はほぼ確実に下の娘!