5年ぶりの黒板ジャック

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5年前、武蔵美の学生達に混じって小学校の黒板に絵を描いた黒板ジャック。黒板ジャックというのは武蔵野美術大学の学生達による、「旅するムサビプロジェクト」の活動の一つ。学生達が全国の学校を訪れ作品を持ち込んで見せたりその場で作品を作ったり・・・、子供達に芸術を身近に感じてもらうための活動、その一環として、生徒がいない放課後に教室にチョークで絵を描いて子供達を驚かせる「黒板ジャック」がある。一般的には黒板アートという呼び名になるのかな?5年前のブログに黒板ジャックのことを書いたものがあるので参考までに。個人的には3番目の「その後の話」というやつがお気に入り。自分で書いたはずなのに思わず笑ってしまった。

黒板ジャック(その1)

 黒板ジャックその2 お披露目 

その後の話

私がここであらためて言うまでもないことだが、最近の新型コロナウイルスの流行は世の中の子供達にも大きな影響を与えている。3月と言えば卒業式の季節。これまでの学校の仲間達、そして先生達と別れ、新たな世界に一歩を踏み出そうとする旅立ちの時だが、突然の学校閉鎖は子供達からそんな大切な時間を奪い去ってしまった。

先日小学校の先生とお話ししたときに、こんなことを言われた。「今年の6年生達は1度にいろんなものを奪われてしまった学年なんです。卒業式に向かっていよいよ本格的な準備が始まろうとするときに、突然学校が終わってしまいました。なんとか卒業式だけはできる様になったんですけど、下級生もご両親も参席できない少人数での卒業式になってしまいます。だから何か少しでも子供達の心に残ることをしてあげたいんです。もしよろしかったら、みんながその前で写真を撮って記念に残せるように黒板にまた絵を描いてもらえないでしょうか。」

そんなわけで、5年ぶりに再び「黒板ジャック」をやってみることに・・・。いや、本家本元、武蔵美学生の「旅するムサビプロジェクト」とは別なので黒板ジャックを名乗るのはおこがましいけど・・・、一応武蔵美出身だし、一回は本家の活動に参加してたからお許しいただけるかな・・・?

今回は一人黒板ジャックになるかと思ったが、実は前回我々がやっているところを端から見ていたうちの奥さんが「私もやりたい!」と、名乗りを上げてくれたので、夫婦そろってやることになった。実は妻も美大出身者。デザインを学び、結婚前は自ら経営する美術教室で100人以上の生徒を持っていたほど。実は今でも地味に自宅で小規模な美術教室をやっていて、教えている子達は毎年夏休みのポスターコンクールやら何やらで結構いい賞をもらっていたりする。

話はそれたが、子供達の心に残るもの・・・何ができるだろうか・・・。あっと驚くもの、というだけなら簡単かも知れないが、子供達の心に残るようなもの、思い出、懐かしさ、これからへの希望・・・。あれこれ考えた末、考えついたのは、単なる黒板の絵というのではなく、教室全体を思い出の詰まった宝箱のようにしたらどうかというものだった。先生達にも参加してもらって、子供と先生にしかわからない思い出で教室を満たしてみたいと考えた。

教室の後ろと前にある黒板。後ろの黒板には卒業生達を見守り、見送る先生達や在校生達を描き、前の黒板にはこれから新しい世界に羽ばたく子供達の未来を表現する。そしてその間には子供達が使ってきた教科書や体育の道具、音楽室の楽器や理科の実験道具など、子供達にとっては当たり前のもの、だけど今日を境に卒業する思い出の品々。そして卒業の当日、子供達がその教室に入ることによって全ての要素がそろう。

そんな構想を伝えると先生達は喜んで協力を約束してくれた。

妻と二人でひとけの無い教室に入りさっそく描き始める。前の黒板は私担当、後ろは妻が担当することに。5年前は正月明けだったのでえらく寒かった記憶があるが今年は春の訪れも早く3月とは思えないくらいの暖かさ。午前の光が柔らかい。

一応私は経験者。・・・とはいえ、生まれてから2度目の黒板絵画。黒板とチョーク、画材としてはなかなか手強い。黒板は文字を描きやすく、消しやすいように作られているものなので、実は意外にぼかすことは難しい。絵を描くときは明暗の微妙なトーンを出したいのだが、チョークで明るく描いた部分を軽くこすってぼかそうとするときれいに消えてしまう。たぶん黒板によっても相当描き味は違うようで、インターネットで検索してみると色を重ねたりティッシュでこすってぼかしたりするやり方が紹介されていたりするが、少なくともここの黒板はそんなにこちらのいうことは聞いてくれない。ぼかそうと思えば消えちゃうし、重ねようとしても描いたところがとれてしまう。先生の顔から描き始めた妻は全然色がのらない初めての画材に早くもいらつき始めている。その日は3時間ほどしか描かなかったが、終わったときにはへとへとになっていた。

2日目は弁当持参で戦いに出た。午前10時に教室に入り午後5時までひたすら描いた。昨日は画材に負けていたのだが、悔しさも相まって戦う気はまだ満々。慣れないなりに少しずつコツが掴めてきた。まだまだ部分的だが、少しずつスピードも上がって来て、描いた面積が増えてくるとちょっとは気分が良くなる。妻の方も調子が出始めてきた。我々が描いている間に先生達は忙しい間を縫って体育館やら音楽室から次々に思い出の品を運び入れてきてくれる。

3日目も同じく弁当持参。夕方までに一応全体にチョークが入った。妻も同じく。妻と私の進め方の違いは、私は始めに構成を決めたエスキースを作り、基本的にそれに沿って進めていくのに対し、妻は大きな構成は決めてあるにせよ、描きながらどんどんイメージを膨らませていくタイプで、ここに鉛筆を描こうかな?とかここに虹を入れようか?とか、気がついたらさっき描いてたのと別のものが描かれていたりする。その日の最後には算数でたぶん時計の読み方の勉強で使うようなマグネットの輪っかを黒板の真ん中に貼り付けていた。

その間先生達によって運び込まれた思い出の物品をコーナー分けしてモチーフを組むように雑多に配置したりしながら6時頃に修了。

4日目。なんとかめどがつきそうなので、その日、午前はちょっと休んで午後から教室入り。

私は仕上げにシャボン玉を散らすように描き入れ、全体を見渡しながら強弱の調整をしてなんとか完成させた。IMG_0803-4_R

これから羽ばたく子供達の未来への希望をハトやシャボン玉に託してまぶしい青空高く飛ばした。伸ばされた手はそんな未来の夢を追う子供達の気持ち。そしてそんな未来はただそこにあるのではなく、自分自身の手で描き出すのだという気持ちを込めたつもりなのだが、はたして何かが伝わっただろうか。

 

先生達はこれまで撮られたたくさんの写真の中からクラスの子供一人一人の生き生きとした写真を見つけ出し、プリントアウトしたものを一つ一つ想いを込めて切り出してきてくださった。最後にそれらを教室中に詰め込まれた思い出の品の中にちりばめるように貼っていっていく。その子のキャラクターに合わせ、一人一人のエピソードを楽しく話ながら・・・。担任と子供達の間でしかわからない心の強い結びつきを感じる。こんな先生達と過ごしてこられた子供達は幸せだな。

今回の黒板ジャックは描いた私たちが子供達の前に出て想いを伝え、一気に消し去るというセレモニーはない。あくまでも主役は子供達。子供達の反応を直に見ることはできないが、コロナウイルスの辛い記憶と共に何かしら少しでも暖かい記憶として残ってくれたらと願う。

君たちの未来に幸あれ。

 

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